寺社仏閣で授与する機会の多いお守り。初詣・安産祈願・七五三・合格祈願など、人生の節々で増えることが多いですよね。そもそもお守りは、いつまで持っておくべきなのでしょうか。
今回はお守りの扱いについて、詳しくご説明します。
目次
古いお守りを持っているとよくない事が身に起こる?
そもそも「お守り」とは何なのか
日本には八百万の神・仏様が存在し、神仏に恵まれた国です。国内の神社の総数は約8万社、寺院は約7万6千ヶ寺と言われてます。お守りは全国の寺社仏閣で授受され、その種類も豊富です。
そもそもお守りとは一体何なのでしょうか。神社では神主さんが祈祷を行うことで「御霊(みたま)」が宿り、お寺ではお坊さんが読経をすることで「仏様への祈り」が込められます。
お守りを持ち歩くことで、常日頃から神様仏様を身近に感じることができるのです。そのため、ご利益のあるお守りは、決してぞんざいに扱わないようにしましょう。長年仕舞いこむことはせず日ごろから身に着けたり、目に見える場所に置いておくことが大切です。
昔から持っているお守りは手放すべきなのか
古いお守りを持っていると、よくない事が我が身に降りかかるのではと、心配する人もいるでしょう。しかし、お守りは返却時期などは設けられていないため、持っていても問題ありません。
手放したくない事情がある場合は、大切にする気持ちを忘れなければ持っていて良いのです。
中には「願いが叶ったお守りはどうすればいいのか」と、願いが成就した後の扱いに悩む人も多いのではないでしょうか。
今年受けたお守りは、翌年のお正月に手放す必要はある?
お守りは一体ずつ、返す時期を見極めよう
神棚や仏壇に祀るお札は、年末の大掃除の際に古いお札を神社・お寺に返して、新年用に新しいお札を授受するという風習があります。お守りもお札と同様に年末年始で返却し、新しいお守りを受けることが望ましいです。
具体的には御守・心願成就など、その年の無事や願いを祈願するお守りであれば、翌年には返した方が良いでしょう。そして必要とあらば、新しいお守りを受け取ります。
しかし、そうは言っても願いが叶う前に返すのは気が引けますよね。合格守・安産守・病気平癒など目的がはっきりしているお守りは、成就するまで身に着けていて問題ありません。もちろん、心願成就などのお守りも、成就するまでは持っていても大丈夫です。
願いが叶った!お守りは返した方がいい?
願いが叶ったあかつきには、基本的には神社やお寺へ返します。しかし、家族や親しい人から頂いた場合は、返したくない時もありますよね。その場合は、返さなくても良いんです。
お守りは返しても良いし、返さなくても良い。持ち主の判断で決められるということですね。
重きを置くべき点は「お守りを仕舞ったままで放置などせず、大切に扱っているか」に尽きます。
しかし、お守りはたくさん持ちすぎると良くない、という話を聞いたことはありませんか?神様同士が喧嘩をしてしまう、など聞き捨てならない噂まであります。
お守りといえど、そのひとつひとつには神様の御霊が宿っているので、きちんとした扱い方を知りたいですよね。
古いお守りがたくさん!神様同士が喧嘩しちゃうって本当?
いえいえ、そんなことはありません!
結論から言うと、複数のお守りを持っていても神様同士で喧嘩はしません。交通安全・病気平癒・恋愛守などそれぞれで願いは異なります。役割の異なる神様が喧嘩をすることはないのです。
しかし、「神様側の事情なんて分からないじゃないか」と考える人もいます。
神様サイドも色々と事情がある
神様のことを知る上で役立つのが「古事記」や「日本書紀」です。日本で最初の神様のお話から天孫降臨、その後の天皇のお話などが記されている書物です。
実はこれらの書物では、度々神様同士の争い事が描かれています。兄弟喧嘩や女性とのもめ事など、喧嘩の理由はまるで私たち人間のようです。
神様にもそれぞれ役割があり、家族があり、暮らしがあります。日々の中で神様同士が喧嘩をするなんてことがあっても、なんら不思議はないのです。
「それならば、やっぱりお守り同士が喧嘩するのでは」と思われるかもしれませんが、願いの異なるお守りが一緒にあるからという理由で、喧嘩が勃発してこちらの話を聞いてもらえない、という事態にはなりませんので安心してください。
そもそも、日本は八百万の神の国。ひとりの神様のお守りだけを持っている、という方が珍しいかもしれませんね。
本項では、神社のお守りについてご紹介しました。
前項では神社とお寺のお守りについて触れましたが、神社とお寺とではそもそも宗教が異なることにお気づきでしょうか。
神社とお寺のお守りは同時に持てない?どちらかを手放す必要はある?
神道と仏教
日本には数多の宗教が存在します。神道は、海・山・巨木などの自然物に神様が降臨されると考えられ、自然を慈しみ祀ったことが起源です。その後神社の原型が建てられるようになり、徐々に現代でも見る社殿などが建設されました。
神道とは日本の土着の宗教です。日本の古代から現代に続く民族宗教であり、日本人の生活文化の全般に浸透し、しかも外来文化を受け入れて、日本的に変容させるというエネルギーをもっています。その原点は古来の民間信仰と儀礼の複合体で、動物や植物その他生命のないもの、例えば岩や滝にまでも神や神聖なものの存在を認めるいわゆるアニミズム(精霊信仰)的な宗教です。
出典:神道国際学会
仏教は、インドのゴータマ・シッダールタというひとりの若者が、悟りを開いたことから始まります。後にお釈迦様と呼ばれ、今では世界三大宗教のひとつとなりました。日本への伝来については諸説ありますが、その後全国にお寺が建立されました。
仏教とは2500年ほど前に、仏陀を開祖として説かれた教えです。
仏陀とは「悟った者・真理に目覚めた人(覚者)」という意味があり、仏陀以外にも幼少名のゴータマ・シッダールタや、一族の名をもとにした釈迦・釈尊などさまざまな名で呼ばれています。出典:全日本仏教会
キリスト教の教会なども多く、日本は小さな島国ながらも神仏で溢れていて、とても賑やかな国ですね。
神道は八百万の神・仏教は仏様と、信仰の対象が異なります。しかし、実は明治時代までは「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」と言って、神様と仏様が混在していた時代が続きました。異なるふたつの宗教が、ひとつの信仰となって人々の拠り所となっていたのです。
宗教が混在するなんて不思議な感じがしますが、当時は神仏習合の概念によりそれが当たり前だったのですね。
現代ですら神社とお寺を混合してしまう人が多く、宗教が異なるという話をすると、納得する人もしばしば居ます。
神仏習合の名残は今でもあり、お寺の境内に小さな鳥居とお社がある、なんてことも。そして、その逆もあります。参拝した際には、ぜひ境内をくまなく散策して、神仏習合の名残があるか見つけてみてください。
例外があるかも?神様仏様のお守り
さて、神様と仏様のお守りを同時に持っていてもいいのか、についてですが、問題ありません。日本人は神仏習合の時代より、ふたつの宗教を混合して信仰対象としてきました。今さらになって、神様と仏様のものを同時に持つと良くないことが起こる、なんてことはないのです。
しかし、例外はあります。
神棚にお寺のお札を、仏壇に神社のお札を祀るのは良くないと言いますので、授与品によっては注意が必要です。
また、あそこのお寺を参拝したらあっちの神社は参拝しない方がいい、という逸話もあります。神様仏様でそれぞれ由緒がありますので、気になる人は調べてみてください。
お守りを手放す際のルールと作法について
お守りの返し先
お守りは他の授与品と同様に、受けた寺社仏閣へ返して「お焚き上げ」をしてもらいます。決して家庭ごみと一緒に処分することの無いようにしましょう。
お焚き上げは、故人様が生前に大切にされていた遺品や粗末に扱うことができない品物などを神社やお寺で供養していただいた後に焼いて天に還す宗教儀式になります。
お焚き上げに関しては神道と仏教で解釈が異なり、神道が「火の神様の力を借りて思い出の品を焚き上げて『天に還す』儀式」を指すのに対し、仏教では「思い出の品を焚き上げて『故人様に返す』儀式」を指します。
出典:葬儀の知識
返す先は、そのお守りを受けた寺社仏閣へ返すのが習わしです。もし、遠方で返しに行けないなどの理由がある場合は、事前にその神社・お寺へ相談をしてみてください。
もしくは、他の場所のお守りでも受け付けてくれる寺社仏閣があります。事前に相談の上、持参しましょう。
なお、神社のお守りは神社へ、お寺のお守りはお寺へ返します。ここは、神仏習合してはいけないポイントです。
お守りを返す際の作法について
鳥居や山門を潜ったら、そこは外界との境界線を越えた神聖な場所です。手水舎が設けられていれば、手と口を清めます。
そして、神社であれば社殿を、お寺であれば本堂にご挨拶をしましょう。神様仏様を素通りして用事だけ済ませるというのは気が引けます。
例えば、誰かのお家に訪問した時には必ず挨拶をしますよね。それと同様に、参拝した際の挨拶は礼儀として必要なのです。
また、可能であればお礼参りをすると良いでしょう。お守りを介して見守ってくれた神様仏様に感謝の意を伝えます。
最後に、お守りを古札納所へ納めます。日ごろは受付していないところでも、年末年始であれば設置されていることが多いです。もし見当たらない場合は、社務所や寺務所に声を掛けてください。
まとめ
今回は神社とお寺のお守りについて紹介しました。異なる宗教のお守りでも、基本的には一緒に持っていて構いませんし、複数持っていることにも問題はありません。
お守りを持つ上で重要なことは、「ぞんざいに扱うことはせず、大切にする気持ち」を常に持つことです。
お守りを介してご加護をいただき、より良い人生となるよう神様仏様に見守っていただきましょう。